Happy life

50代60代の女性が自分が思い描く通りの華やかなで身も心も豊かなセカンドライフを送るためのメディア

進行性乳がんで闘病中の小林麻央さんのブログから、発覚した経緯と心情が書かれた記事を集めてみました

こんにちは

今日は
小林麻央さんブログから
進行性乳がんの発覚した経緯と
進行性乳がんを受け入れた心情が
書かれている記事を
紹介させて頂きます

9月1日から始まった
小林麻央さんのブログですが
その日の出来事や
感じたこと
想い

そして
進行性乳がんが発覚し
今に至った経緯、心情などを
素直に
力強く
明るく
前向きに
書いています

一時期メディアでも紹介されていましたが
今は落ち着きつつあります

小林麻央さんのブログから
進行性乳がんの発覚された経緯と
進行性乳がんを受け入れるまでの心情
そして
現在に至るところまで
が書かれた日の記事を集めてみました

ameblo.jp

  1.始まりの人間ドッグ
  2.50%
  3.授乳中のしこり
  4.再検査
  5.左のおっぱい
  6.半年後の検査
  7.しこりの発見
  8.後悔
  9.気づかなかった脇のしこり
10.現実
11.涙
12.まずいパスタ
13.大事な家族
14.ポジティブに
15.告知日
16.妊娠や出産について
17.たられば は無し
18.家族からの着信
19.母の愛
20.主人と主人の母  9月25日
21.ルームサービス
22.結婚の意味
23.21日

引用という形でご紹介しますが
URLもおいておきます
良かったら
小林麻央さんのブログを訪問して頂いて
直接、記事を読んで下さい
他の記事もたくさん読んで下さい

現在
闘病中の方も
元気な方も
どんな環境にある方にも
元気をもらえるブログです

 

小林真央さんのブログ

KOKORO.より

1.始まりの人間ドッグ

2016-09-07
2014年2月、主人と人間ドッグを受けました。

一番の目的は、
身体を酷使することも多い
「主人の身体の検査」であり、

私はまだ31歳ですし、
「付き添い」で受けるくらいの気持ちでした。

娘が産まれた1年半後に
息子が産まれ、このとき、9ヶ月。
まだ授乳中でした。

完全母乳で、
息子と三時間以上離れることがなかったので、

長時間の「人間ドッグ」を
久しぶりのデート気分で、
楽しんでさえいました。

その数年は、
妊娠中や出産後の検診で、
子宮頸がんの検査は受けていましたが、
その他の検査は、
育児の忙しさから、受けようという気持ちも、忘れていました。

KOKORO. 始まりの人間ドック

 2.50%

2016-09-07
人間ドッグの結果は、

その日のうちに、教えて頂くことができました。

先生が、
「問題は、、、奥様の方です」
と言ったとき、

「え!まお!?」と間髪入れずに
反応した主人に対し、

私は、

特に反応するほどの心の揺れもないくらい

まだ何の感情もわきませんでした。

「左乳房に腫瘤があります。
これは、しっかり検査して
診てもらった方が良いので、
なるべく早く、病院へ行ってください」

少し考え、、、

「腫瘤ということは、

癌の可能性もあるということですか」
と聞いてみると、

「その可能性は、五分五分です」
と先生は言いました。

「まお、まずいじゃん、、、」
主人が言いました。

がーーーーーーーーーーーーーーん。

、、、とは、なることもなく、

なぜなら、この時まだ、
私は癌ではない方の50%だ!という
根拠のない自信がありました。

KOKORO. 50%

 

3.授乳中のしこり

  2016-09-07

大きな病院に
再検査の予約を入れました。

私は、娘の授乳時から2年以上の間、
週に一度、
乳腺の状態を良くするための

母乳マッサージに通いケアをしていたため、

乳房に関しては大丈夫と、
どこか安心していたところがありました。

また、
乳腺専門の知人2人から、

「授乳中のしこりで
癌の可能性が五分五分なんて、
その先生は、オーバーだね」

という意見を聞き、

乳腺専門の先生がそう思うのだから、

きっと大丈夫だな
と、さらに安心してしまいました。

兎にも角にも、

再検査の日を待ちました。

KOKORO. 授乳中のしこり

 

4.再検査

2016-09-11

人間ドッグでは

超音波の検査で、腫瘤が見つかりました。

 

再検査の日。

 

まずは

触診。

 

先生に「このしこりですね」と

言われましたが、

 

同じように触ってみても、

自分ではさっぱり分かりません。

 

もう一度超音波と

さらに、マンモグラフィーでも

検査を受けました。

 

授乳中はマンモグラフィーはできないと

思っていましたが、

普通に行いました。

 

結果、

 

癌を疑うようなものではない

とのことでした。

 

人間ドッグの先生には、

五分五分で癌と言われたのですが、

生検はしなくても大丈夫でしょうか」

 

と聞いてみると、

 

「必要ないでしょう、授乳中のしこりですし、心配いらないですよ。

半年後くらいに、念のため、

また診てみましょう」

と言われました。

 

事前に聞いていた乳腺専門の先生2人の

意見と同じで、

 

ほっとしました。

KOKORO. 再検査

 

5.左のおっぱい

   2016-09-12

再検査では「心配ない」との結果で、安心し、
癌への不安が残ることもありませんでした。

けれど、
何気ない時に、
左の乳房を触ってみるのが癖になっていきました。

不安はないとは言っても、
どこか潜在的には
あったのかもしれません。

敢えて言うならば、

子供の抱き方から
右の乳房での授乳の方が
おさまりが心地よく、
いつも右側から授乳しがちでした。

左の乳腺は、
右よりは張りやすく、
一度乳腺炎になり、
ずっと保冷剤をあてていたことも
ありました。

でも、

子供が
左のおっぱいを飲みたがらない
という様子はありませんでした。

KOKORO. 左のおっぱい

 

6.半年後の検査

   2016-09-13

「癌かもしれない」という不安はありませんでしたが、
半年後にもう一度、念のため
検査には行こうと思っていました。

息子の断乳
それに合わせて終わらせており、
断乳後の乳腺のケアを行っていました。

半年後の検査は8月頃の計算でしたが、
忙しい毎日のなか、
時間がとれない言い訳を重ね、
予約をせず、

いつの間にか、10月になってしまいました。

KOKORO. 半年後の検査

 

7.しこりの発見

   2016-09-13

2014年10月のある日、

息子と遊んでいたときのこと、

何気なく、
胸元から手を入れて、
左の乳房を触りました。

どきっ。

いきなり
本当にパチンコ玉のようなしこりに
触れたのです。

なんだこれ。

心臓が音をたてました。

何度も何度も触り直します。

やっぱり、ある。

悪性だと、しこりが動かない
良性だと、しこりが動く
と聞いたことがあったので、

確認しようと思いましたが、

これは、
動いている、と言うのか、
動いていない、と言うのか、

全く分かりません。

ただ、

動いて欲しいので、
無理やりでも動かすように
思いっきりしこりを押しました汗

必死です。

だんだん、
おもちゃの音も、
息子の声も、遠のいていきました。

KOKORO. しこりの発見

 

8.後悔

2016-09-14

その場で、
病院に電話をし、
診察の予約を入れました。

どうしよう。

やってしまった。

8月だったのに。
8月だったのに。

 

半年後は8月だったのに。

やってしまった。

そんな思いが
とめどなく襲ってきて、

自分を責めました

KOKORO. 後悔

 

 

9.気づかなかった脇のしこり

   2016-09-14

検査の日。

「先生、しこりが自分で触れるくらいに

大きくなっています。このしこりは、

前の検査のときにあった場所と同じですよね。。。!?」

先生は触診し、

「これですね、、、

大丈夫だと思いますよ!

超音波でみてみましょう」

と、言いました。

超音波で診ていた先生が
一瞬、厳しい顔つきになりました。

「脇のしこりには気付きましたか」

「え。脇にもあるのですか」

奥の方を強めに触ってみると、
言われてみれば、しこりがあるような、、、ないような、、、
正直分かりませんでした。

先生は、触って分かるようでした。

「脇にもしこりがあるということは、
私、癌で、脇にも転移しているということですよね。。。」

先生に聞くと、

「決まったわけではありません。
脇のリンパが何らかの原因で腫れて、

しこりのようになることもあります。

とにかく、
生検をした方が早いですから、
生検をしましょう」

と、言われました。

KOKORO. 気づかなかった脇のしこり

 

10.現実

   2016-09-15

ベッドに横たわり待っていると、

美しい女性の先生が入ってきた。

乳房に麻酔をしていく。

「ちょっと痛いですけど、
我慢してくださいね」

その先生が、あまりに美しく、
洗練された手つきのため、

まるでドラマのワンシーンのように
思えてくる。

次に、
太い注射針のようなものを刺して、

パッチン! !   パッチン!!

と、

細胞を採取する音で、
一気に現実に引き戻された。

ドラマなんかでなく、
現実なんだ。。。

私、癌なんだ。

KOKORO. 現実

 

11.涙

    2016-09-16

「お子さんはいらっしゃるんですか」
とその先生に聞かれ、

「はい。3歳の娘と、1歳の息子がいます」

すると、

「母は強いですからね!!
小さなお子さんがいながら
頑張って治療しているお母さんは
たくさんいます!
乳がんは、長い付き合いなので、
ゆっくりがんばりましょう」

と言われました。

え。癌確定!?

生検の結果効く前に、
もう癌前提のお話ではないですか!

「あの、
私、癌である可能性はどのくらいですか??」

とぼけたふりをして、聞いてみた。

すると、、、

「残念ですが、、、

95%、癌ですね、、、」

れいかとかんげんの顔が浮かび、
我慢したけれど、
ポタリと涙が流れた。

KOKORO. 涙

 

12.まずいパスタ

    2016-09-17

「本当に癌になってしまったんだ、これからどうなるんだろう。」

どんな顔して、
家族に言えば良いのだろう。

帰れなくて、
ふらふら歩いた。

こんな時でもお腹がすいた。
さすが私。

ふらりとお店に入り、
ジェノバパスタを頼んだ。

ソースが少ない、パッサパサのパスタ。
なんて、まずいのだろう。

涙を流すには丁度良い味だった。

まずい。

まずい。。

まずい。。。

まずい。。。泣  泣  泣 泣

涙が止まらなかった。
KOKORO. まずいパスタ

 

13.大事な家族

    2016-09-18

病気になったりすると

空の色が変わって見えると

言うけれど、

 

お店から出て見上げてみた空は

いつもと何ら変わりない色だった。

 

歩いて、歩いて、

家の前まで来た。

 

「ママーーーーーーっ!」

 

公園帰りのパパ、れいか、かんげんが

遠くに見える。

 

れいかが、私に向かって

はじける笑顔で走ってくる。

 

パパも笑っている。

いつからこんな優しい顔をするように

なってたんだろう、と思った。

 

こんな時は、

ただひとりの女性になって、

主人の胸ででも泣きたいけれど、

 

やっぱり思いっきり笑顔のママになって

両手を広げた。

 

飛び込んできた娘と、

遅れてたどり着いた息子を

抱きしめながら、

 

この子たちのママは

私ひとりなんだ、

という喜びと怖さに、心がふるえた。

絶対治す!と誓った。

KOKORO. 大事な家族

 

14.ポジティブに

    2016-09-19

とはいっても、

かすかな望みはもちたいもの。

生検の先生は、
95%癌だと言ったけれど、

結果をみたら、
残りの5%だったということもあるはず。

そうだ!
そうだ!

脇のしこりだって、
何か菌が入ったのかも!

きっと、そうに違いない!

私の中の
ポジティブ担当の細胞たちが、
必死に抵抗していた。

まだ、絶望するな!
今こそ、不安をかき消せ!

KOKORO. ポジティブに

 

15.告知

2016-09-20

生検の結果を聞くまでの10日間は、

ひとりだけ違う時間軸に生きて、

ゆっくりゆっくり皆とは違う

暗闇に追いていかれるような感覚だった。

 

告知日。

 

診察室に入った時の先生の表情で、

「陽性だったんだな、

癌なんだな」と分かった。

 

心の準備は意外とできており、

冷静に先生のお話を伺った。

 

この時点では、

まだ脇のリンパ節転移のみだった。

(その後、現在肺や骨などに転移あり)

 

私が結婚をした頃に、

母が、乳癌を患っていたため、

治療に関する知識はある程度あった。

KOKORO. 告知日

 

16.妊娠や出産について

    2016-09-21

先生からのお話の中には、

母の乳癌のときには、知らなかった内容もあった。

抗がん剤治療で

排卵機能が停止すること、

20代、30代であれば、

機能は戻る可能性が充分あるが、

希望があれば

卵子を凍結しておくこともできること、

けれど、その時、排卵誘発剤を使用するので、乳癌を促進してしまう可能性もあること、

 

また、治療法のひとつの

ホルモン療法は五年間に及ぶので、

妊娠出産を望むのならば、

抗がん剤治療→手術→放射線治療の後、

ホルモン療法の前に、

タイミングを考えることができるかもしれないこと、

 

を、私の場合は、説明された。

 

(乳癌のタイプや状況によって、

治療法や順番も違うと思います)

 

「子供は2人いますので、

3人目は考えていません」と

何の強がりなのか言ってしまったが、

 

私は、ふたり姉妹で育ってきたので、

麗禾に妹ができたらな、とか

勸玄にも分かり合える弟ができたらな、

と思ってきた気持ちは、

 

高望みだと

一気にかき消した。

KOKORO. 妊娠や出産について

 

17.たられば は無し

    2016-09-22

癌の告知を受けて、

それを受け入れたとき、

ほっとした自分もいた。

 

その1年半の間は

とにかく身体が怠くて怠くて

1日1日が精一杯だったのだ。

 

「癌になるくらいの身体だったんだ」と

思ったとき、

その間の自分を初めて分かってあげられて、受け入れられて、

どこか、ほっとしたのだった。

 

今思えば、

もっと前から

癌にならないように努力できたことが

あったかもしれない。

 

主人が

私の身体のためにしてくれていた

助言にも、もっと耳を傾ければよかった。

 

でも、決して

何かに怠けていたわけではない。

あれがあの時の

私なりの精一杯だった。

 

だから、人生に「たられば」は無し。

 

それでも、

思ってしまうものだけれど。

KOKORO. たられば は無し

 

18.家族からの着信

    2016-09-23

心配して結果の報告を待っている家族から

着信が入ってきていた。

 

特に、主人からの着信回数は

半端ない。

 

まだ、告知中だよ〜

 

冷静に先生の話を聞いていたのに、

かばんの中で鳴り続ける

携帯のバイブレーションに、

急に泣きそうになる。

 

家族は悲しむだろうな。。。

 

ごめんね。

 

病気になっちゃった妻で。

病気になっちゃった娘で。

病気になっちゃった妹で。

 

きっと、

病気になって、

皆が一番に思う言葉かもしれない。

 

「ごめんなさい。。。」

KOKORO. 家族からの着信

 

19.母の愛

    2016-09-24

私の母は、

私が病院で告知をされている間、

家で子供達をみていてくれた。

 

私が乳癌であることを電話で聞いて、

どんなに悲しかったことだろう。

 

自分と同じ思いを

これから娘がするなんて。

 

きっと、

一番に私を抱きしめたかっただろうに、

母は言った。

 

「たかとしさん(主人)のところに

行きなさい。

子供たちのことは、ちゃんとみてるから。」

私は母になっても、

永遠に、母には敵わない。

 

落ち込んだとき、

 

いつも強くて優しかった祖母や

強くて明るい母の血が

私の中には流れている

と思うと、底知れぬものに守られている

感覚に包まれるのだ。

KOKORO. 母の愛

 

20.主人と主人の母

    2016-09-24

主人はその頃、

日本橋でJAPANシアターという舞台中だった。

 

近くのホテルで、

昼夜の舞台の合間に会うことになった。

 

「お母様には

なんて言ったらよいだろう。。。」

 

1年半前に父團十郎を亡くしたばかりの

母に、とてもでないけど、

今度は私が癌だなんて言えないと

思った。

 

主人が電話をかけたら、

 

主人の母は

 

「私がなればよかったのに。。。!」

 

と言った。

 

その言葉のなかには、

父を亡くした母の寂しさ、哀しさが

同時に凝縮されているようで、

涙が止まらなかった。

KOKORO. 主人と主人の母

 

21.ルームサービス

    2016-09-26

夜景が綺麗なホテルだった。

 

「絶対大丈夫!治そう!」

そんな話をしたと思う。

 

「悲しいね」主人がポツリと言った。

 

夜の部の公演が終わるのを待って、

一緒に家に帰ることにした。

 

それまでの間、

やはり、お腹はすいたので、

ルームサービスで銀鱈定食を頼んだ。

 

完食した。美味しかった。

涙はでなかった。

 

あの日のジェノバパスタとは

全然違う!と思った。

 

自分の中で少しずつ覚悟ができていた。

KOKORO. ルームサービス

 

22.結婚の意味

    2016-09-27

夜景を見ていると、

 

成田屋の御贔屓の皆様の顔が

ひとり  ふたり  と浮かんできました。

 

「治療が始れば、

しばらく劇場にも行けないかな。。。」

 

そんなことを思っていると、

どんどんどんどん皆様の顔が浮かんで

きて、

 

「私も、いつの間にか

堀越麻央になっていたんだなぁ。

お嫁にくるってこういうことなんだ。。。

お客様が、家族に迎え入れて下さること

だったんだ。」

 

と、この時、心から、

主人と結婚することの意味が

分かった気がしました。

 

お客様にはご挨拶もままならず

失礼を重ね、

本当に申し訳なく思っております。

KOKORO. 結婚の意味

 

23.21日

    2016-09-28

乳癌を告知された日が10月21日。

 

私が生まれた日が7月21日。

 

私にとって、何かと意味のある21日。

 

新しい「こと」の始まり。

 

人間って、いつも

どこかで意味をつけて

いたいものだなと思います。

KOKORO. 21日

 

ご報告

  2016-10-01

病院の先生方の勇断により、
先日、手術を受けることができました。

術後、徐々に回復してきたため、
ご報告させて頂きます。

私の場合、
根治手術ではなく、
局所コントロール、QOLのための手術です。

一時は、
胸や脇の状況が深刻になってしまった

ため、

手術さえも選択にありませんでした。

手術をしたからといって、
肺や骨に癌は残っており、

痛みもあるので、
これからが闘いです。

なので、
心からの喜びとまではいきません。

が、

先生方が大きな手術にチャレンジして

下さったことは、
大いに大いに喜んで、
心からの感謝をしています。

まわりの皆は、
ここまでこられたことが
奇跡だと言ってくれますが、
奇跡をここでは使いたくないです。

奇跡はまだ先にあると
信じています。

KOKORO. ご報告

 

心の声

  2016-10-03

私は、一般的には、
根治は難しい状態と言われる

かもしれません。

色々なこと、
真剣に、調べました。
なので、それだけ、
色々なことも分かっている

つもりです。

だからこそ、

「先生、私は治したいんです。
奇跡を起こしたいんです!!」

と言いました。

先生は、2、3秒、間をあけて、

「奇跡を起こすには、
着実な一歩一歩を踏むことです。
それなしに、奇跡は起こりません。」

と言いました。

 

私は、何度か転院しましたが、

先生に出会う前まで、

 

根治させたいなんて、

こんな状況では、言えない、

と思っていました。

 

でも、

ついに、心の声を、言えたのです!

大きく思える夢や目標も
抱くことはできる。

それを堂々と言うことも、
恥ずかしいことなんかではないと
思います。

前の私なら、
言えなかったことも
今は言えたりします。

私はステージ4だって
治したいです!!!

遠慮している暇なんて
ありません!!

 

だって、

先生にも

私は、奇跡を起こしたい患者なんだって

思っていてもらいたいです。

 

だから、

堂々と叫びます!

5年後も
10年後も生きたいのだーっ
あわよくば30年!
いや、40年!
50年は求めませんから。

 

だって

この世界に 生きてる って

本当に素晴らしいと、感じるから。

 

そのために

できることは

やる。

コツコツはカツコツ!

 

ぅわぁー、

私の苦手技だぁー

 

誰か助けてーーーー笑

 KOKORO. 心の声

 

 

小林麻央さんは
進行性乳がんで闘病中です

そして
今でも
ブログの更新を続けています
体調の良くない日もあるでしょう

休みたい日もあるでしょう
それでも
毎日、毎日
更新しています

その行動
このブログへの想いが
病気の人も
病気でない人も
悩みのある人も
何となく生きている人も

子育てが終わり自由に使える時間ができた時
少しだけ経済的にも余裕ができた時
何かがしたいと思いました
ここからが、私たちの再出発です
もっと、もっと
しあわせになりましょう

最後まで読んで頂き
ありがとうございました

 

 

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引用元:

小林真央さんのブログ

KOKORO.

http://ameblo.jp/maokobayashi0721/

happylife

皆様にしあわせが届きます様に!

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